萩の寺について
境内
道了大権現堂(どうりょうだいごんげんどう)
祭神の道了大権現は、名を妙覚と号し、修験道の奥義を極め、神変自在の神力を現した室町時代の禅僧で、小田原の大雄山最乗寺の開山・了庵慧明(りょうあんえみょう)禅師に随身していましたが、応永18年(1411)了庵禅師遷化の翌日、山門守護を誓願、天狗に化身して神籍に加えられた仏様です。関東地方では「小田原の道了さん」と呼ばれ、畏敬され信仰されています。
天正18年(1590)、豊臣秀吉公が小田原征伐の陣中にて夢告を受け、「両翼脱落」の奇瑞を得たことから、遠く大阪の発展を願って大雄山最乗寺より勧請されました。以来、「道了祭」は大阪の名物とされ、火神商神・火盗除災・心願成就の権現様として多くの善男善女の帰崇をお受けになっています。
おまつりしている道了堂は、寺伝では小田原藩の寄進で大阪市内玉江橋付近に建てられたものを移築したもので、『摂津名所圖繪檜大成』に「道了権現祠 右同所東小田原御蔵やしき内にあり霊験いやちこなりとて詣人絶えることなし」という記事がそれに該当し、明治36年に中津本院を経て、豊中の現在地に移築されました。