萩の寺について
集う人々
中林梧竹(ごちく)翁と頓悟活輪(とんごかつりん)和尚
中林梧竹は、篆・隷・楷・行・草の五書体に通暁した当代随一の書家で後世「書聖」の名を冠されています。文政10年(1827)佐賀県生まれ。大正2年没。生家は代々鍋島藩士で、藩命で江戸に留学し、市河米庵・山内香雪に学びました。二度にわたって中国に留学、中国古典をよく学び、書の造型性を追及しました。
その梧竹翁を父とする頓悟活輪和尚は、東光院十世一透良関の一番弟子でした。日露戦争でたおれし軍馬の為に、品川湾頭の一大軍馬の銅像に、馬頭観音像を安置すべき諸願を企て、全国を行脚し巡回中の明治42年新潟県で客死した志士です。当山には活輪和尚の茶毘塔があります。