萩の寺について
集う人々
川谷尚亭(しょうてい)の寿碑(鈴木翠軒(すいけん)書丹)
昭和15年(1940)12月22日除幕
川谷尚亭翁
明治19年高知県生まれ、昭和7年48歳で亡くなりました。「甲子書道会」を組織するなど、大阪の書道文化の向上に尽瘁された偉大な書人。
本碑は、七回忌にあたる昭和15年に全国各地から浄財が寄せられ、書道に対して理解が深かった十世良関禅師により無償で浄地が提供されて建碑されました、大阪書道界協力の金字塔です。
碑文は泊園書院院長・藤沢黄披。筆者は「東に翠軒、西に尚亭あり」といわれた鈴木翠軒。翠軒は日本芸術院会員、文化功労者となった尚亭の友人で、国定教科書第一号の手本を書いた人としても知られています。昭和51年81歳で亡くなりました。
この碑は翠軒52歳の書で、尚亭への深い敬愛を示すため「書丹」といわれる石に乗り朱墨で直接書く中国本来の方法で五日間をかけて揮毫されました。碑文には尚亭の生い立ちや活躍ぶり、没後の門下生らの嘆きなどが記されています。この碑前では昭和39年に三十三回忌、同56年には五十回忌の法要が全国から門下生や書道界の第一人者が多数集まって勤修されました。