集う人々

青木月斗(げっと)の句碑

昭和31年(1956)6月建立 うぐひす社建之
「門前すでに 丈余の萩の 盛りかな 月斗」

本名、新護。明治12年大阪生まれ。大阪道修町の天眼水本舗の主人としても有名な豪商。初め月兎、のちに月斗と号しました。

子規門下で水落、露石らと共に当時の大阪俳壇の重鎮として、明治31年大阪満月会を創設。その会の育成に尽力しました。明治32年『車百合』(のちの『同人』)を発刊し、晩年までその経営にあたりました。

子規は「俳詣の西の奉行や月の秋」の句を贈り、その業績を称えました。昭和24年、疎開先の奈良県大宇陀町にて71歳で亡くなりました。

青木月斗の句碑
青木月斗の句碑