由緒と歴史

新西国霊場ご御本尊「こより十一面観音像」の復興

昭和59年に新西国霊場御本尊・秘仏十一面観音立像を開扉し修理に出したところ、乾漆が欠けた部分から、こよりで編んだ衣状のものが現れました。詳しく調べて見ると頭部から足元まで、すっぼりと、こよりによって編まれた衣服をまとい、その上から漆と金箔が塗られていることがわかりました。

寺伝によると、南北朝時代、建武の中興(1333年)を成し遂げながら足利尊氏の謀叛で吉野に追われ、南朝を開いたあと悲運の生涯を閉じた後醍醐天皇(1288〜1339年)の菩提を弔うため、南朝の女官たちが帝を偲んで法華経八巻を写経し、その紙をこよりにして衣に編み、この観世音菩薩像にお着せしたといわれています。

安永8年(1779)、盛徳院(徳川家康公の長女、亀姫)により川崎東照宮造営に際し、その観音堂の御本尊として寄贈されました。その後、寺基の移転とともにこの伝承も途絶え、像の所在もわからなくなっていましたが、修理の工程で偶然にもこの観音像が幻の「こより観音」であることが確認されたのです。

新西国第十二番霊場御本尊 こより十一面観世音菩薩立像 聖徳太子御作 後醍醐帝念持仏
新西国第十二番霊場御本尊
こより十一面観世音菩薩立像
聖徳太子御作 後醍醐帝念持仏

昭和62年、古く傷んだこよりは像の胎内に納め、新たに京都黒谷の和紙に印した約1500人の奉納写経紙で調整した「こより大衣」を全身にお着せして、650年ぶりに本来の姿を復原しました。
伎芸上達・女人守護の霊験著しく新西国第十二番札所の御本尊として本堂におまつりされています。

こより観音五十一天女供養図絵(部分)
こより観音五十一天女供養図絵(部分)
紙本着色 敦煌画院院長 徐春光画

敦煌のシンボル「飛天」がこより観音の、補陀洛浄土にいまします「こより観音」さまを献身的に帰依し讃える供養図絵。平成3年、敦煌画院院長 徐春光氏により制作され、こより観音のご宝前に奉納された。

萩の寺の略史